52×デイヴィット・オグルヴィ

招待されて、恵比寿の写真美術館で現代広告界の巨人といわれるデイヴィッド・オグルヴィの人生を描いたドキュメンタリー映画(非公開)を観てきました。

オグルヴィのスタンスは、現在でいうところのアカウントプランナーと同意味である。彼はクリエイティブの専門家でありながらマーケティングにも精通した経営者である。自分の人生最大の失敗は、クリエイティブの現場を離れて、経営に身を置いたことだと断言していた。だからオグルヴィは自分が社会に成し遂げた業績は、コピーライターとしてのオグルヴィが遺したものと記憶してほしい、と言う。オグルヴィの聖書を読めばあらゆる現代広告論が無意味と化す、という意見が止まないのは、もっともかもしれない。
最後に、裸一貫から世界的な広告会社へと成長したオグルヴィ&メイザーをプラスチックと製鋼?の会社であるWPPグループが買収するというラストを観て、広告業界否定神学的なタコ壷性質(寡占市場化しパワーブランドに資本と精神性が回収されるシステム全般)を連想し、少し虚しくなった。


などと書いてるうちにWBSを眺めてたら、離職率が高まっていることの特集をしてて、ITベンチャーの面白法人カヤックが取り上げられてた。カヤックでは辞める人間が、ここ5年でひとりもいないらしい。権限委譲が進んでいるからである。個々人に責任があり、生産性が蓄積されるからである。
ぼくがよく例に挙げるのは、はてなである。カヤックはてな的な組織だ。どちらかというとぼくは大手志向だし、独立志向はまったくないが、はてなのような組織ならむしろ所属したいと思う。
否定神学的なシステムに立ち向かうには、智民創発的な組織運営でなければならない。そしてぼくが仮に経営者になるのだとしたら、そのような組織を創る経営者になるならなってみてもいいな、と思っている。
現在の広告におけるマーケティングとクリエイティブの性質は一変している。その本質は、あらゆるところに遍在しているというのが実感だ。つまりマーケターとクリエイターのやってる仕事は、マーケティングでもクリエイティブでもなくなっている。広告人の為すべきことは、一段上のレイヤーに持っていかれている。
であれば、本当にマーケティングとクリエイティブなことを行うためには、その環境を整備するなかでみんなに創発させたほうが生産的だし、本質的なクリエイティビティが担保されるということになるのかもしれない。


こんな名言がある。 私が考えたものだが。

「コピーライターとデザイナーは、オペレーター。クリエイティブディレクターは、コピーライター。マーケターは、クリエイティブディレクター。経営者は、マーケティングデザイナー。広告人は、オペレーター。クライアントは、広告人。」

位相は変化している。時代はすでに到来している。以上の認識が正しいのだとしたら、あなたはどの立場を選択しますか。
オグルヴィは「ビッグアイデア」を一番大事にしていた。もし彼がいま生きているとしたら、マーケターを職務として選択したのではないかと思う。マーケター界でいま最も重要なキーワードは「ビッグアイデア」でもあるのだ。
その感性に近いのは、コピーライターよりも、マーケターの技術が近いとぼくは考えてる。