54×ビジュアルアイデア2

近々、自分史上最高のコミュニケーションデザインを考える機会に恵まれたわけだが、もともと私が好きな広告、あるいは広告の原体験とは、それこそ広告然とした、ビジュアルが立ったグラフィックであったなぁと思う。
例えばパルコ「原始、女は太陽だった」や、としまえん「史上最低の遊園地」を観て、広告をアートとして見る視点に気づいてから、私はアートディレクターになることを目指した。石岡瑛子さんと大貫卓也さんの仕事に憧れ、そして追従していた。

中学生の頃に美術系の高校に進学しデザインを学びながら、高校生の頃、美術の先生に「アートディレクターになるにはどうすればよいか」と相談したら「お前、デザインを勉強してる場合じゃなくて、美術史やんなきゃダメだよ」といわれたので、あわてて歴史を勉強しはじめた。このおかげで予備校にも通い始め急激に偏差値も上がっていった。しかしながら受験前に「なんかおかしいな……」と遅まきながら気づいたのだが、アートディレクターにはいろいろ種類があって、その先生は美術館で展覧会を仕切るアートディレクターと勘違いしてたんだね。しかもぼくが講評会でも理屈っぽいこと言ってたからてっきり理論系なんだろうと思われたんだね。石岡さんはともかく、大貫さんは講演聞いたけど美術論を勉強してるって感じじゃなかったもんなぁと。

ぼくは驚愕しながらデザインに戻ろうかと思ったが、美術史をやってるとけっこう楽しいし、当時『美術手帖』に勤めていた批評家の椹木野衣のテクストを読んでるうちに「ファインアートのキュレイター(学芸員)になるほうが格好いいかもな」と考えるようになった。で、美大の芸術学科に入ったわけだが、キュレイターになるのは非常に狭き門であることがわかった。どちらかといえば東大の美学を学んでるほうがルートとしてはベターなわけだ。そうだったのかぁと打ちひしがれてると、まぁ元々は広告のアートディレクターになりたかったわけだし、そっちに路線を軌道修正しようと考え直した。大学時代はベタにポスターとか作っていた。

で、広告のことを再び考え始めると、広告にもいろんな職種があることを知り始める。某代理店が運営してる大学3年生向けのクリエイティブ予備校の最終面接で落ちたことで、自分のビジュアルアイデアの根本的な力不足を認識し、でも宣伝会議のコピーライター講座では鉛筆をどっさりもらえたおかげで、広告はビジュアルだけではなくテクストで表現できる道もあるのだとを学んだ。自分の叔母さんはコピーライターだったのも大きく影響していた。でも宣伝会議では天才的にコピーライターの才能がある奴が同世代にいて(神谷幸之助も絶賛していた奴だったが、無類の菓子好きが転じて洋菓子メーカーに就職した)、コピーライターは天才がなるものだ、と思ってその進路へ進むのをやめた。ぼくは運否天賦の勝負よりも、確実に勝つ、確実に自分が広告業で大成できる道を選びたかったから、レトリックを排除したコンスタティブなテクストをたくさん書いて書いて書いて、その中で相手とコミュニケーションする仕事を選ぼうと思った。それがマーケティングプランナーという仕事である。


いま巷ではマーケターは、コミュニケーションデザイナーと呼ばれる機会に恵まれて始めているが、果たしてどれだけの人間がそう呼称されるに足りうる素質を備えているだろうか。どうしても私にとって「デザイン」はとても重たい言葉として捉えてしまわざるを得ない。また「コミュニケーション」も、哲学や社会学的には含蓄のある言葉で、これまた扱いが億劫になってしまうものだ。なので結局、ぼくは対外的にはマーケターと自称するようにしてる。ストラテジック・プランナーという場合もあるが、これも戦略を政治的に捉えてる人がけっこういるので、なかなか言いにくいものだ。

コミュニケーションデザインはまだ定義が確立してないので、自分が納得できる仕事を成し遂げれば、コミュニケーションとデザインのどちらも深く考察している自分ならば、名乗れるのかもしれない、と思い込んでみるテストなのである。いろいろ書いてみたが、ぼくは広告業で一番重要な存在であり尊敬されるべきは、アートディレクターだと考えている。だからこそアートディレクターの素質がある人間が、いま広告ビジネスで最も求められているコミュニケーションデザイナーになるべきだが(小林保彦教授は芸術と科学の融合が現代広告に最も必要だと述べている)、そのような人材は類を見ない。私はこの10年間で、再び広告表現の芸術性とはなにか、を問う原点に戻ってきて、いまそんな将来像を描きはじめている。