59×インサイト

新広告潮流研究会というプロジェクトを運営して1年が経った。その前にも私は2年ほど外部でマーケティングの研究会をしてたから、なんだかんだ言って毎月1度はマジメに広告を語り続けてきたことになる。そのせいか最近は批評的なこともあまり導入せず、わりとベタにストレートに広告論を考えている。ついこないだまでの私はデリダとかマクルーハンとかボードリヤールの真似をして広告を破棄することに広告があるのだから、徹底して広告モデルを否定論で捉えてこそ正道なんだというイミフな戦略を採用していたが、ちょっと幼稚過ぎたかなと思って反省してるのが最近なのだ。

で、その象徴として今日は「インサイトが最も大事だ」なんて普通なことをしゃべりまくってしまった。なんと当たり前な発言。でも実際にマジメにインサイトの作業をやってきたかどうか問われると怪しいし、クロスコミュニケーションの中心はインサイトがあるのは間違いないのだから、ちゃんとやらなきゃいけないのだ。
しかしながらインサイトの作業は、コピーライターが無意識にやっていることの追認に他ならない。コピーライターの聖域を小生意気にもマーケターが侵犯するってのがインサイトの実態なわけで(だからコミュニケーションプランニングという概念が誕生した)、コピーライターとマーケターとアカウントプランナーの三者が共存している時のインサイトの実践は難しくなりそうだ。しかもマーケターのインサイトの作業は蓋然性を問われるので、他のセクションよりも作業が大変だろう。しかもマーケターは誰よりも案件を多く抱えている。こんな状態じゃ「マーケターの言ってることは浅すぎて使えない」と、なめられて当然ではないか。
だからインサイトの手順化、フォーマットを急速に進めるべきだろう。私の知る限りではインサイトはあまり学術研究は進んでいない。なのでマーケターが「インサイトの書き方」を書面にして、特権化していかねばならないだろう。現状ではマーケターのインサイトは、何の役にも立っていない。なぜならマーケターは最終の提出物や、世の中に出て行った時の見え方を想像していないから使えないのだ。私は「インサイトは物語である」と考えている。深い人間への洞察は、そのままひとつの普遍的な物語を奏でることへ直結するのだ。そう捉えると村上春樹ロラン・バルトインサイトの達人だなと思う。バルトの『表徴の帝国』という奇書は、日本人の生態や生活空間を、ひとつの記号とみなして独特の言論を実践してみせた。あの本は思想書としての理論的強度は疑わしいが、思考の実存的実践=インサイトの本として読むと理論的な作業であったように見えてくる。

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)