9×メガ

アメリカの広告代理店事情に詳しい方から、なかなか示唆に富んだ話を聞けた。ますます隆盛に向かうメガエージェンシー化の流行について。メガ、といっても実際その傘下は細分化している。後述するが、むしろメガとは実体のないものだ。
政治を除外すれば、広告代理店の業務は建前上、以下の3つに大別できる。いわく

  1. クリエイティブ 
  2. マーケティング 
  3. メディアバイイング

とりわけ業務上、最も重要で彼らにしか成しえない機能とは、メディアバイイングである。
米国のメディアバイイング・エージェンシーは、日本とは全く異なった動きをしている。なにが違うのか。日本のメディア営業はマスメディアの窓口であるため、当然接触する人間は媒体サイドである。ところが米国での彼らは、クライアントと直接バイイングのやり取りを行う。つまりクライアントは総合広告代理店を通さずに、直接メディアエージェンシーに買い付けを命じるわけだ。米国のバイヤーはひどく人件費を抑えられてるというし、広告主が抱くコスト意識の高さがうかがえる。


またマーケティングとクリエイティブに関しては、ホットショップと呼ばれる新形態のクリエイティブ・エージェンシーが台頭してきている。従来では考えられなかったアイデアを直接クライアントに提案し、すべてを略奪していく。例えば映画『マイノリティ・リポート』は広告を幽霊化した広告映画である。1スポンサーに過ぎないがトヨタは物語中にレクサスを頻出させることで推定8億円の投資をしたし、『ターミナル』はUnited Airlinesの提供である。まさに『トゥルーマン・ショー』が現実に飛び出してきたような実例ではないか。

その縦割り化された情勢の中で、代理店のAE(営業)は無論なにもせず、暇を持て余すことは明白だ。グローバル企業が連なるアメリカでは極めて優秀な広告主が戦略を案じ、メディアとクリエイティブを最適化しながら個別に発注していく。ゆえにAEは中抜きされざるをえない。


ここで先述した疑問が浮上する。分業化が進むなか矛盾するように、なぜ一方でメガエージェンシー化が促進されるのか。冒頭で体裁だけで実質がない、と断言したように、企業価値の上昇を試みることで投資家にアピールする財務上のリバレッジを期待した所作でしかない。

また別の角度で眺めれば、それもまた総じて資本の論理によって説明できうる。日本にはない慣習だが、海外のエージェンシーは1業種1社制が原則である。例えばある自動車メーカーは車種ごとに担当エージェンシーが異なるが、本来は1社に縛らなければならない。そこで乱立するエージェンシーをメガという体裁でゆるやかに包括することで、かろうじて「1グループ」で担当しているからOKだ。という詭弁が成立するのだ。

統廃合ではなく、ゆるやかな包括という辺りが近年のIMC(Integrated Marketing Communication)の落ち込みと、Holistic Marketingの高まりを顕示しているように思えた。


to be contined…