14×メセナ

私たちはいま、どうすれば私たちが広告を好きになれるのだろうか、という課題に取り組んでいる。前回の議論では、消費者は企業の営利的なメッセージ=純粋広告にはうんざりしきっている。ならば企業色を去勢してしまえば、すなわち広告を好きになるのではないかと立論してみた。

と言ってはみたものの考えるまでもなく、さすればそれはもはや、広告とは呼べない代物だろう。だがバブルの80年代に数多の企業がそれに近い広告的な出資を試みていた。メセナ(芸術文化支援)活動*1である。

現存しているメセナで有名なのは、例えば東急グループBunkamuraトヨタのTAM(アートマネジメント講座)、アサヒビールのアサヒ・アート・フェスティバルなど目に浮かんでくるが、その他 剰余資産を持たない多くの企業は、バブル崩壊を境に手を引いていった。


なぜか。効果がないからである。この効果がないには2つの意味がある。1つ、経済的な利益に結びつかない。これは当たり前である。問題は2つ目、メセナ自体は好きになっても、その企業が好きになるわけではないということである。つまり人間は芸術を愛する生活者であるが、芸術に出資してる企業だからといってそのモノが良いとは限らないと判別してしまうわけだ。生活者と消費者、その二面性が80年代から急速に高まってきたと考えるべきだろう。すなわちメセナ活動はまったく存在意義のない行為ではないか、と多くの企業は直感したわけである。

広告を好きになってもらうため、メセナをやっても企業名は普及しづらい。百歩譲って普及させるスキームを組んだとしても、生活者が持つ嗜好のバリエーションは煩雑を極まった。文化支援のイベント一つだけでは、どんなことをやっても必ず好き嫌いが残酷なまでに分かれてしまうのである。それでもメセナ、あるいはCSR活動は愛されるべき広告活動なのであろうか?


恐ろしく乱暴であったが以上の状況分析により、私たちの答えはメセナに見出せないことがわかった。だがこの分析により、メセナの弱点を幾つか克服さえすれば、新たな答えへの道筋が開けるのではないか。次回はそこを立脚地とし、もうひとつの仮説を議論したいと思う。

 

*1:詳しくは『社団法人 企業メセナ協議会』のサイトを参照されたい
  http://www.mecenat.or.jp/