動機と同期 ― 広告表現とクリエイターの再編成論

2008年に書いた小論をアップしておく。私がソーシャルタギング論を考えることになったきっかけやその必然性が描かれていると思う。ぜひご覧あれ。

「動機と同期 ― 広告表現とクリエイターの再編成論」
本論では、情報飽和社会において求められる広告表現と、クリエイターが捉えるべき新しいクリエイティブの視点とは何か明らかにすることを目的としている。
結論を先取りしておくと、第一に広告表現は“圧縮された情報が生活者のココロの中で解凍し、膨張されていく表現”になるべきだと筆者は考えている。例えば膨大なデータは圧縮ソフトで縮減され、解凍ファイルで元に戻すことができるのを思い起こしてほしい。圧縮と解凍は主にデジタル技術の革命として捉えられていたものだが、その着想は広告業の実務でも有効なアイデアであることを論証していきたい。
第二にクリエイターは “生活者の記憶の容積の中にすでに貯まっている記憶の原型に基づいた表現を心掛けること”が必要不可欠になると主張したい。かつての人々はカラカラの井戸の中で飢えていたとすれば、現代の人々は知識のダムの洪水に晒されてしまっている。そのためもはや井戸水はほとんど満杯にまで貯水されてしまった。したがってこれから広告のメッセージは、その中に異なる水質の水を注ごうとするよりも、同じ水質の水を注ぐことで、生活者の記憶を呼び覚ますようなクリエイティブを実行しなければならない。次世代の広告の表現とクリエイターのあり方について方法論を提示していきたい。
そのための重要なキーワードは2つ。“動機”と“同期”にある、と筆者は提言したいと思う。


1.動機要因 ―気になっていたこと―
人はあるモノを知る時、そもそも自分が知っている事柄じゃない限りはモノを理解することはできないんじゃないだろうか。認知心理学ではそのような考え方を「動機要因」と呼んでいる。動機要因に詳しい識者は、人がなにかを見て「目立つ」「面白い」と認知する時には、与えられたモノを見てから関心が揺さぶられるのではなく、自分の動機の文脈に沿わないものは最初から見えないのではないか、と主張している(※1)。広告論に換言するならば動機要因とは、消費者行動を認知から始めようとせず、あくまで生活者の興味や関心事に力点を絞ったうえで認知を狙うべきだという考え方である。
実例から捉えてみよう。中央酪農会議が行ったキャンペーン「牛乳に相談だ。」は、表現のレベルにおいて動機要因の着想に基づいた設計がなされている。若年層を中心とした日本人の牛乳離れが深刻化しているという課題に対して中央酪農会議が行った表現とは、牛乳の製品的特徴から距離を置いて、生活者たちの本音の気持ちを下敷きにしたメッセージに集中する戦術を採ることだった(※2)。真っ白なポスターの数々には「牛乳に相談だ。」のロゴマークと、1枚ずつそれぞれに“駅の階段で、おじいちゃんに抜かれました”“化粧で隠したい時ほど、化粧ノリが悪い”“好きな女の子に、腕相撲で負けました”といったキャッチコピーが掲載されている。この表現の根幹にあるのは、商品の機能的特徴からクリエイティブジャンプしてターゲットに届ける、という従来の広告表現のセオリーとは逆方向の進路であるように見える。ターゲットの生活導線上に、その場所でその時間にターゲットがぼんやりと想像している事柄の最大公約数に準拠しながらキャッチコピーが発想されている。他の導線で言えばカラオケボックス用のポスターには“タンバリンに当たって骨折”。スーパーのPOPには“貧乏ゆすりを、ダイエットだと言い張る息子”。他にも小中学校・ケータイの待受など、あらゆる接点でキャッチコピーは千差万別に用意されている。これらはどれもがターゲットが気になっていたことを接点別に言語化した表現だといえるだろう。
しかしながらこのような表現は、広告業界の外に目を向けてみると決して特異なものではない。芸術家の作品を鑑賞して人が感動する時とは、圧倒的に美しいモノを観たから感動するのではなく、その作品の中に自分の原体験を思い出した時にこそ人は涙を流すのと同じ原理ではないだろうか。人々の記憶にあるものをデザインする表現者、と評されるプロダクトデザイナー深澤直人はその実践者だと言えるだろう。マーケティング的にいえばターゲットインサイトの追求だが、広告クリエイターの癖としてそのインサイトを無視してしまうことがある。クリエイターはあらゆる業界に目を向けながら生活者主権社会でも相手に伝わる表現とは、ターゲットの動機要因にヒントがあることを意識してほしいと思う。


2.プライミング効果 ― 気にしなければならないこと ―
とはいえここで、広告の実務に携わる方ならばある制約が思い浮かぶはずだ。広告主からクリエイターに与えられた課題、つまり商品から、生活者の原体験を発掘しにくい時(例えば新ジャンルの商品や市場ニーズに適合しにくい商品など)や、すでにメディア選定が決まってしまっている時(TPOに合わせた表現が設計できない)にはどうすればよいのだろうか。
動機要因はもともと動機がある生活者に対して顕在記憶を下敷きにしたアプローチだとすると、動機がない無目的な生活者に対してのアプローチは、潜在記憶を下敷きにした「プライミング効果」を参照していきたい。プライミング効果とは、人間がある情報を認知する時は、潜在的に抱えている意識を呼び覚ますことで認知スピードが向上することを立証した認知心理学の記録である。別名“思考の呼び水効果”とも呼ばれているのに象徴的だろう(※3)。
ロケットカンパニーから発売されたニンテンドーDS用ソフト「漢検DS」のプロモーションは、この理論に極めて近い事例だ。この事例ではテレビCMを投下する前、広告に対する感度を上げておくために、日本人の漢字力が低下していることをニュース報道に仕立て上げる戦略PRを行っている。“『漢字が書けなくなった』大人85%”“大人の4人に1人が『こどもに聞かれても答えられない』”といったプレスリリースの言葉は、そのまま12月12日「漢字の日」にテレビや新聞で大きく取り上げられ、「大人も漢字の勉強をしないとみんなにバカにされるかも…」という空気感を醸成していった。また店頭では新聞の記事広告をPOPに二次使用することで、モノが買われる瞬間にその空気感が思い起こされるよう処置が施されている。コミュニケーションデザイナーの岸勇希が「調査結果も表現のひとつ」と語るように「漢検DS」の表現とは、テレビCMやWEBといった空爆ではなく、ターゲットをきちんと広告に反応させるための地盤固めにこそ本質が存在しているのだ(※4)。
ライミング効果は、被験者に“doctor”という単語を事前に刷り込ませておくと関連語である“nurse”という単語を連想しやすくなったり、他の単語よりも認識する速度が上昇したり、理解度も深くなるという実験結果を理論化したものだ。“doctor”は戦略PRで、“nurse”はテレビCMや店頭POPである、と結びつけてみると「漢研DS」は心理学的にも論拠のある設計になっているように思われる。


3.疑似同期 ― みんなが知っていることを知りたい ―
 さて、動機要因にせよプライミング効果にせよ、認知心理学の知見からこれからの広告表現を再編してみると、相手が“気になっていた/気にしなければならない”を下敷きにすることが重要であることを筆者は論証してきた。そこで筆者がもうひとつ別の角度から提唱したいのは“みんなが知っていることを知りたい” という願望を広告で満たすという視点である。これは「人間は他者の欲望を欲望する」動物だと精神分析家がよく議論するテーゼとも極めて近い。
 この視点の参照項にしたいのは、社会学者の濱野智史による「疑似同期」という考察である(※5)。濱野は利用者同士が動画の上にコメントを貼り付けて楽しめる動画共有サービスの「ニコニコ動画」をモチーフに分析をしている。いわく、コメントを書く作業は各個人がまったくバラバラの時間帯で書いているはずなのに、各ユーザーが動画を視聴する時には人々のコメントが動画再生と並んで読めてしまうために、あたかもリアルタイムで観客がお茶の間に集っているように錯覚をさせてしまうと指摘している。つまり濱野は、核家族化が進んだ分衆化時代において、現代の人々に欠けている身体的共感を回復させるためには人々のココロを “同期”させなければならない。しかしテレビを中心にしたマスメディアが持っていた、同時代性を代表させる特徴が弱まっている昨今、これからの送り手は「ニコニコ動画」で実践されているような疑似同期性を演出することが有効な手段になっていくと説いているのだ。小沢一郎を始めとした政治家がこぞって「ニコニコ動画」内で放送チャンネルを開始したことでも象徴的だろう。
さて、そこで注目したいのは、同期性の演出に徹底している任天堂のテレビCMの表現戦略だ。Nintendo DSWiiのハード機及び関連ソフトのテレビCMのほとんどは、プレイヤーがゲームを体験しながら感想を述べる、というプロットを基本形としている。通常のテレビゲームにおけるCMの常識は、15秒間ひたすらずっとゲーム画面を流し続け、製品の特徴を雄弁に現すことだった。だが任天堂はその逆を歩んでいるように見える。例えば『ポケットモンスターの思い出』というCMでは、シリーズ第一作目と最新作を比較しながらゲームをOLが体験しながら最新作と比較している光景を描いている。あるいはゲームボーイのCMでも、好感度トップクラスのタレント達がゲームボーイに触れている姿を映したり、BGMに昔のファミリーコンピューターのゲームサウンドを使用する工夫によって郷愁感を誘っている。
競合他社に比べて任天堂のテレビCMは、ゲーム画面を登場させる面積を抑えており、かつ広告の定型だとされているキャッチコピーやタグラインさえも可能な限り排除されている(CMの内容はタイトル・有名人のナレーション・商品名だけで構成されていることが多い)。「牛乳に相談だ。」の事例と同じく、任天堂もまた極限まで表現の要素を狭めているが、その要素は「牛乳に相談だ。」のアプローチとは、似ているようで大きく異なっている。どこにでもいそうな人、みんなが知っている人、親しみ深い絵や音。誰しもが知っている共通知識をCM上で再表現することこそが、ターゲットを惹きつけ、結果として商品認知を獲得できるという判断をしているのではないだろうか。
メディア環境が分散化しているのを背景に、身体的共感を得ることは広告表現を創る時でも忘れられがちになっている。現在、クリエイターの感性は他よりもどれだけ目立つ表現を創るか、に焦点が絞られてる傾向にまだまだあるが、今一度、テレビCMの原点に立ち返って「同期性」を醸成することが必要だと筆者は問いたいと思う。


4.おわりに ― これからの広告表現とクリエイターとは ―
さて本論では、2つの“動機”と“同期”をヒントにしながら新しい広告表現のあり方を模索してきた。その議論を終えた上で考えたいのは、広告クリエイターの進化形である。
典型的な広告の教科書において広告の根源は、商品を認知させ、モノを売ることだと教えている。そして歴史上のコピーライターの多くが、競合環境の中でも特筆すべき機能的価値<Unique Selling Proposition>をキャッチコピーとして書くべきだ、と教えている。しかしながら現在ではその手法は成立しにくくなっているのはもはや周知だろう。
依然として広告の目的を認知<Attention>に注視するあまりに、とにかくクリエイターは生活者の注意を惹きつけることを出発点にしがちである。AIDMAやAISAS、AISCEASはどれも同様に、機能的価値をクリエイティブジャンプさせてAttentionを獲得することをモデル化したものばかりだ。その結果、驚かせることには成功したが商品特性が伝わらないまま結果として購買に結びつかなかったというケースは枚挙にいとまがない。
これからのクリエイターは、Aから発想するだけではなく、興味<Interest>や欲望<Desire>、共有<Share>もしくは体験<Experience>を中心点にして表現を組み立てるべきだ。そう筆者は問い直したいと考えている。



■参考文献
※1 下條信輔『<意識>とは何だろうか』、講談社、2005年5月
※2 中央酪農会議『牛乳消費拡大事業活動レポート』
※3 東浩紀下條信輔『将来は人間の潜在認知さえもコントロール可能になる』、講談社MouRa、2007年7月、
※4 岸勇希『コミュニケーションをデザインするための本』、電通、2008年9月
※5 濱野智史『情報環境研究ノート』、WIRED VISION