4×2005年の旅3

愛知万博より。人大杉で何も見れず…。

写真はさとうりさ作の『player alien』からです。彼女は時代の空気をつかむのがホント上手だなぁ。見ただけで何をいわんとするか想像が膨らみます。

というわけで万博はパビリオンに入るだけじゃなく、会場を歩いてるだけでも『幸福のかたち』というアートプログラムhttp://www.expo2005artprogram.com/ を鑑賞できたり、交通手段としてもゴンドラやリニモリニアモーターカー)、燃料電池バスに乗ったりして、ぜんぜん楽しめるのです。

パビリオンに並ぶのがイヤで、結局なんも観てないヤツの負け惜しみではございません(笑)。観れたのはアートと啓蒙の色濃いフランス館と、Casaブルータスでもブロック型の外観がすごいと取り上げられてたスペイン館。あと愛知県館にイエメン館、国連館くらいのもんで、ぜんぶマイナーな部類です。だから行ったといえるのかどうかも微妙なところ。


さて、ぼくは心底驚いたのは、じゃあどこが人気があるかって、トヨタ・日立・三菱・東芝はては日本ガス協会etc、企業が出展するパビリオンは総じて、午後にはもう入場さえ困難なほど人が殺到してることですね。これは入場「客」の中心がファミリー層であるのが主な要因です。つまり企業パビリオンは金にモノを言わせて、絢爛豪華なエンタテイメントを魅せるわけですね(もちろん環境配慮のメッセージは組み入れてます)。

ぼくはこの現実に薄気味悪さを感じると同時に、実務家としてはある種の可能性を見出しています。薄気味悪さというのは、崇高な理念よりも目先の欲望に手を伸ばすリバタリアンな世界観を感じたのです。可能性に関してはなんとも形容しがたいのですが、言うなればリバタリアンな入場「客」は、自らアクティブに広告を摂取している様から生み出されると思います。要はぼくの広告論で紹介しているプロダクト・プレースメントやブランデッド・エンタテイメントってヤツですな。

薄気味悪さと可能性。ロマンティシズムとリアリズム(理想と現実)。まったく次元の違う話なので絡められるものではなかったのですが、ぼくの中ではこの2つが常に葛藤しています。巷の議論では2つの共存が叫ばれていますが、ぼくは何度も繰り返すようにあくまでもロマン主義に力点を置きたいと考えています。その再確認を行うための3日間だったような気がします。