13+19

先日、原宿で行われた広告サミット2005を聴講してきた。インタラクティブ広告に関するセッションで、木下謙一(ラナデザイン)、福田敏也(777インタラクティブ)、中村勇吾(tha ltd)というメンバーに加えてなぜかアニリール・セルカン(宇宙飛行士候補)というトルコ人がいたのだが、このセッションで話されるべき議題を理解しているのはセルカン氏だけ(中村氏も体感はしているのだろうが言語化できてない)だったように感じた。そして日本の広告の、クリエイターの限界を悟った。


セッション・レポートをお届けする前に、ネット界隈の言説を眺めていて私が感じる不満を3つほど述べておこう。

1.GoogleAmazonが志向するカスタマイゼーションが究極だと思っていること
2.バイラル(口コミ)を発生させることが目的化していること
3.広告を過小評価し、コンテンツに追随するコバンザメだと片付けていること。


広告の話というより、ネット界隈で繰り広げられる小さな下世話ごとを転がしていただけなのは彼らの力量だろう、と多めにみるにしても。冒頭でテクニカルな話は避けて大きなことを語る、と謎めかしていたが結局はこの3つを言い換えた議論に過ぎない。本当に私たちが考えねばならないのはWebインターフェースで流行るのはリッチなバナーだとか、動画コンテンツの中に幽霊的に隠されるプロダクトプレイスメントだとかいう技術論ではない。現在の情報社会あるいは来るべきユビキタス・ネットワーキング社会において、広告(オン/オフに関わらず)はいかなる消費者に迎え入れられるのか? そしてそれはいかなる形態を保持しているのか? ルネッサンスではないがある程度、人間を基軸に据えて討議は行わなければならない。そもそもインターネットとは本姓的に脱領域=脱メディア論を志向しているはずなのだから。

つまり彼らが思い描いてる世界とは、好意的にみてもweb2.0の延長線上である。web2.0とはなにか。


<只今執筆中・・・>