2×効率

前回、私は仕事という概念にまったく興味がない、といった。しかし学ぶべきことは数多くある。その最大の成果は、効率を考えるようになったことだろうか。

職人芸と違ってビジネスでは、複数の案件を同時平行させねばならない。それも些事を細かに。私たちはひとつの案件に没頭することをリスクと感じ、聖徳太子のように7つの耳を持ち、脳内を切り替えながら俯瞰している。だから私たちは共通の命題として、いかに作業効率を向上するか考えているわけだ。

ここで面白いのが、むしろ多忙なほうが案件の質が底上げされるのではないか、という仮説だ。というのも私たちは複数の作業に追われると、ひとつひとつの作業にかける時間にコスト意識を持つ。すると人は「いま自分が取り組んでいること全てに、現金化されるんだ」と気付き、必死になる。そして様々な案件も時間数こそ減るけども、時間がない分かえって、無意識に本質を捉えようとする。つまり本質を語らなければ、どんなに時間を費やしても相手を説得できない。時間をかければかけるほど、各論に陥って本質を逃すのはよくある光景だろう。コミッションでなくフィーでの支払いを求めてくるスタッフは、確かにそれだけ質も高い。ある高名なクリエイターは、本当に優秀な人間は、なんでも広く浅くこなせながらも、特別のなにかに深い造詣がある人だ、と言い放った。正に我が意を得たりとひしひしと実感している。


効率論に関しては、他にも関心を寄せていることがある。PICSY開発者の鈴木健は「議事録ドリブン」というアイデアを提示している。*1これは会議の目的を議事録を書くこと、と定義したうえで、その場にいる全員で議事録の項目を埋めていくというアプリケーションだ。これによって日本人特有のあいまいで結論のない会議は、否が応にも明文化され、決議と採択のスピードが圧倒的に速くなる。事後にメールで議事録を共有するよりもコンセンサスが取りやすい。というよりここで反論せねば後の祭りになるから出席者も必死だろう。トヨタかんばん方式もそうだが、効率を考えることでクオリティが上がることはあり得る話なのである。


次元の異なる話ながらさらにもうひとつ。テクスト的な「言葉の圧縮と解凍」という効率の作法がある。これは私の永遠のテーマでもあるので、次回に議論したいと思う。