30×メディア再考5

いまや私たちの消費行動は、これまで数多の学者やマーケッターが試みた定義とはますます逸脱しつつある。消費者の顔が見えなくなった、とよく聞く台詞だがそれは「モノをより売る」ことを責務とした広告メディアがかつてのように機能しなくなったことを意味する。
広告が効かなくなったのは、私たちの消費行動が変わったからである。だが歴史を俯瞰すれば、メディアもまた私たちの歩調に合わせるかのように進化してきた。本論の関心は、広告が効かない現代人に到達するメディア、そしてコミュニケーションとはなにか探ることに中心がある。
まずはメディアの変遷を大きく五段階に分けて、下記の通りに類別してみよう。

 1. 口承による音声言語の時代   聞く広告 
 2. 筆記による文字言語の時代   読み伝える広告 
 3. 活版印刷による複製文字言語の時代   読み広める広告 
 4. テレビやラジオによる電子言語の時代   見る、聴く広告 
 5. ネットワークによる環境言語の時代   感じる広告 

時代によって主流となった言語が違えば、広告コミュニケーションの主軸も変わっていく。そして近年ではユビキタス・ネットワークを背景に、あるいは糸井重里が「インターネット的」と評したように*1総体ほとんどが言語メディア化していると認めねばならない。というのも現在、広告業界ではそれがプランニングの新しい常識になりつつあるからだ(例えばコンタクトポイント理論)。


かのような時代に広告人は、既存のマスメディアを優先的に扱おうとする必然は急速に失いつつある。ならばとインターネット等の新規メディアを先頭に立たせればよい、という発想もまたあまりに安直だ。そこでメディア論の古典であるヒンメルワイトの議論を思い出してみよう。

かつてヒンメルワイトはメディアの代替過程として、新しいメディアは既存のメディアを置き換えるのではなく、既存メディアの利用行動の文脈を変容させてしまう、と説いた*2。ラジオは情報総合メディアとしての役割を果たしていたが、その領域はテレビの誕生により代替され、逆にラジオは地域密着型の情報発信を行うようになりリスナーも双方向的にラジオと付き合うようになった。またそして長らく続いたテレビ神話も、今ではその視聴時間がインターネットによって相当に食い潰され「ながら見視聴」という新しい利用行動が生じている。

したがってこの現象を側面だけ捉え、インターネットが次世代の総合メディアとして君臨する、と吹聴した研究や主張は後を絶たない誤読なのだ。ヒンメルワイトが言いたかったのは、メディアは人間の行動原理に影響を与えながらも、私たちは気付かないうちに変化した行動原理に沿って、メディアを新たに編成し直していく、ということなのである。有り体にいえば人間とメディアの狭間では、それぞれに相互作用が働いているわけだ。
 

*1:糸井重里『インターネット的』PHP新書、2001年7月

*2:石井健一「メディアの普及」『社会情報学ハンドブック』東京大学出版会、2004年3月