糸井重里と約束

糸井重里が手掛けた1988年の西武百貨店のコピー「ほしいものが、ほしいわ。」は、文末をこう結んでいる。

だから、まずひとつだけ、約束させてください。四月の新学期までに、みんなが練習して、商品の包み方が一番上手な百貨店になります。


糸井重里のコピーライティングの中核には“約束”という魂が宿っている。約束とはつまり、広告の本質を超えないということではないか。2006年11月に放送された文化系トークラジオ Life「糸井重里さんを迎えて」特集にて。糸井重里は自分のホームページ「ほぼ日」を運営するにあたってのポリシーを。ひいては自分にとってモノを書くことはなにか。その時に最も重要なことはなにか語っているように見える。

ぼくらはできる限り約束を守るってことが前提。約束を守るまえに、約束をするってことが前提なんですね。新しいボールペンが出るときに、なにか約束してくれないボールペンには魅力ないんですよ。スラスラ書けますって約束でもいいんですよ。あるいは、見た目がすごくかわいく見えるでしょでもいいんですよ。それは約束があるってことなんですよ。でも、これを使ったら字がうまくなるって約束はできないじゃないですか。だけど、しがちなんですよ。人って自分に惹き付けるために。それは約束守れないから、その約束はしちゃいけないんですよ。せいぜい、一週間ぐらいこのくらいの分量書いてると滑らかにずっと書けますよ、って約束はできますよね。そういうの作ったら時にはそれを言う。それ以上は言ってはいけない。


約束とはどういうことか、例えばこのようにも言い表している。

誰でもカンタンにいえるのは総理大臣の悪口ですよね。絶対、総理大臣は反論してこないから。えらい人の悪口ってのはすぐ言えるんですよ。例えばあなたが「(北朝鮮問題の対応を見て)今の阿部ちゃんはどうかと思う」と言ったとする。じゃあその偉い人がほんと身を低くして、阿部さんが本当に丁寧に名刺を出してきて「○○○さんね、ありがとうございます。あなたのお考えを聞いて、ぼくはほんと参考にしたいと思うんです。」と言われた時に、その続きをなんてしゃべるかって問題を、みんな聞かれないと思ってしゃべってますよね。阿部さんが本当にもう涙目でね。「○○○さんの今の話をほんとに参考にしたい」って心から抱きしめて、あなたに対して言ったらどうしますか?っていうのがぼくの立場なんですよ。その時に、続けて言える(批判できる)だけの約束ができるかって問題ですよ。」


約束とは「わからないことは言わない」のと同意だ、と糸井は評しているが、正確に解釈するなら「正しいことは証明できない世の中だからこそ、自分ができうる限りの正しいことを照らし示す」と参照したほうがよい。そしてその正しいことは、商品にしか宿っていないと考えるのが糸井のスタンスであり、近代広告の可能性の中心でもある。そう捉えてみると現代広告のアプローチは、まるで逆方向の進路を歩んでいることに気付かされる。現代広告では表象(広告)をコンテンツに還元させたり、表象が深層を食い破ることを推奨している。しかしながらそのような経緯で成立した商品は、果たして約束を守れるだけの強度を保てているのだろうか。近代広告における商品開発は、メーカーの人々の叡智の結晶である。比べて広告屋の叡智とはシミュラークルであり、結晶は小さな物語となる。その叡智と結晶は次元が異なるもので比較できないと批判する者はいるが、シミュラークルがメーカークオリティに勝てるとは考えにくい(ボードリヤールは勝ってると断言したが)。
表層が本質を担っている時代に、コピーライティングはどんな約束が可能なのか。旧世代の広告人から問われている。