6+2

批評家の東浩紀氏が、ブログや情報環境に関する対談を行っている。ブログの意義を考える上で、下地作りとなる議論が交わされているので参照したい。

http://www.nttcom.co.jp/comzine/new/talk/index.html

  • イラク武装勢力に拉致されたジャーナリストが、自分が書いたアメリカ批判の記事を、彼らにグーグル検索させて解放されたという話。
  • インターネット上での情報は、実在がグローバルである。ゆえに個人のブログで展開される企業批判を、権力行使で封じ込める物理的な抑圧が頻発している(一方でマスメディアは既得権益をタテに『表現の自由』を叫んでいるくせに)。ゆえにインターネットは実は、最も不自由でがんじがらめなメディアになるのではないか、という予感。
  • 産業資本主義社会では「差異」が価値を生みだしたが、いまの高度情報ネットワーク社会では「リスク」が商品化されたため、必然としてインフラも環境管理(監視社会)化されるという筋道と考え方。


どれもがケーススタディとしては有効だし、深い説得力を含んでいて思わずかぶりを縦にふってしまう。
そのなかで東氏は自身のプロジェクトを説明する折りに、ぼくの「わかりやすいことは本当に正義か?」という個人的な永遠の問いに対して、腑に落ちる答えを示唆してくれたかのようだった。

「プロセスはいつもわかりにくく、結論はわかりやすい。インターネットに関する議論は学問的な形ができていないので、最初はマニアックな議論をせざるを得ませんが、最初からわかりやすい形を目指してはいけません。isedではインターネットのヘビーユーザーでも納得するクオリティを維持しながら、最後はわかりやすく発信していきたいと思っています。」

ブログ論とはあまり連関しないが、上も記しておこう。いずれにせよ情報に深く携わる職務につく方は、ぜひ一読していただきたいと思う。