卒論12

若きし頃の卒業論文をちょっとずつ掲載していくことにした。とりたてて意味のあることではない。新しい思考を始める前に自分の身辺を整理して、必要なものは身近に置こうと思いついただけである。このサイトは人に見せるものでなく(立ち上げ当初はサービス精神旺盛だったが)、やはり自分の考えを再確認するためにあるようだ。

さて。ザッと軽く読み直してみると、ゲテモノ的なモチーフと80年代ロジックを転送した杜撰さは、我ながら恥ずかしいものだ。当時はその「わかりやすい」文体と内容に対して自虐的に振る舞ったものだが、いま見直すと逆にむしろ「わかりにくい」ように感じる。「人はみなラーメンをイメージとして食べている。」という限りなく陳腐な結論を、冗長な散文とペダントリーで固めただけかもしれない。しかしながら、パロディとして読むとそれなりに説得力があるし、おもしろいかもしれない。

だがぼくは以後、このような文章を書くことは 意識的に避けるべきだろう。パロディは人を楽しませることはできても、自分を育ててくれないからだ。新たな試みではパロディでもアイロニーでもフィクションでもなく、ある種の知的緊張を身にまとい、保ち続けねばならない。そう痛感している。