意味のなさは大事

というような、叙情だけでつづるシリーズがあってもひと息の安らぎになるのではないかと思いました。「意味のなさ」は大事です。押し付けがましさがありません。すべて思いつきで、目的がありません。だからこのエントリでは、いっさいの推敲及び手直しを排除します。バックスペースして描き直しなんて持ってのほかです。口にでそうな言葉をそのままエクリチュールにしてみるだけの無謀です。意味のなさは、意味を産みだすかもしれませんが。

したがってこのエントリでは、複合的なテーマが錯綜します。なんでもいってよいことにします。いわばメモです。なんだっけ、オートマティズム?フロイトだとかダリだとかがサロン組んでやってた、あれ。ほら思い出せない。これまでのぼくなら、これをわざわざ調べて、ロジックをわざわざ接合させてたの。言い方も統一したりさ。極めて親切だったわけ。手前のためのメモだ、なんて言っときながらね。


断っておきますが、いまのぼくはシラフです。ただ言葉に圧倒的に飢えている現状があって、言葉を浴びまくることで酔うような気にはなりがちです。チラシでも電車の広告でもラーメン屋のメニューでも、いぬの名前でもなんでもかんでも文字なら読めりゃあいいや、と思ってたけど最近は選り好みして、上品な文字に飢えてます。ラーメンはもういらんと。

むちゃくちゃな感じですよ。これは。ドタバタなほど酔い。あ、もう描き直し厳禁だから変換もぐっちゃになってもうた。これがええの。これをせんとロジックは積み重ねられないの。つまり何がいいたいかって、わかりやすいことを言えるひとは、わかりにくいことを考えてないと到底それはできませんよね、ってことなわけ。

この変でやめとこ。