5×NANA

映画『NANA』はボーカルのナナが月夜をバックに、ケータイをマイクにして歌うシーンが印象的ですが、あのナナの歌声は、遠く雪国でケータイに耳を傾けるヤスにどこまでの再現性を保持して届いてるんでしょうか。

そこでぼくはふと、ある実験を思いつきました。例えば中島美嘉のマネがうまい女の子のカラオケと、中島美嘉本人の音源にまったくムダな複製を通しまくった歌声。この2つはどれほど違うものでしょうか。

ムダな複製てのは例えばCDをMDに落として、さらにカセットテープに落とす。で、テープをラジカセにかけて、そのスピーカーから流れる音をレコーダーで拾って、その再生音をさらにケータイ通話で通して聴く…。まぁざっとこんな感じですね。


おそらくどちらがオリジナルかはわりとカンタンに判別できると思います。でもベンヤミンも言ったように、複製芸術時代において作品は真贋だけでその是非に帰結できないんですね。大事なのは、つまりは単純にどっちが好きなのさ、って欲望そのものの価値判断になるわけです。

となると本家本元の形勢はかなり危うくなります。すごいノイズが入り交じってるわけですから、あのハスキーボイスもただのノイズに聴こえてくるっていうか、だんだん不快になりますな。比べて素人の肉声はそりゃソウルフルでパンチがありますな。「荒々しさ」といってもその質はまったく別物です。


オリジナルとコピーの違いは質を決定しない。ではなにが基準となるか。そんなものは、ない。だから最近の世界は、直感的で、情緒的で、利己的な流れになってるわけですな。『NANA』という作品もすごく動物的で欲望がワーっと押し寄せてきて、思わず嘔吐しそうになります。 

NANA (1)

NANA (1)