19×Winny2

先立ったエントリでは、個人情報、知的財産、著作物をそれぞれ情報共有量のレベル分けで区別した。*1 そのひとつとして私は道徳に下支えられた法的根拠の元では、個人情報は共有すべきではない、と述べた。しかしこの道徳観念が崩壊すれば法も崩壊するはず。となれば、それでも個人情報は共有してはならないのだろうか?

私たちは何もアポリアに陥っているわけではない。例えばここ最近のWinnyによる個人情報流出の事件はすさまじいが、昔から勃発し続けてきたことだろう。そもそも住民基本台帳ネットワークで交わしたはずの議論を私たちは忘却してはいまいか。あるいはクレジットカードのスキミング問題は棚上げしておいて構わないというのか。そう、いかに議論しようと技術は言葉よりも早く、情報環境によってすでに多くの個人情報は漏洩されてしまっている。

法務省は日本に入国する16歳以上の外国人に対し、採取した指紋を70〜80年間は管理することを明らかにした。*2 日本弁護士連合会はこの動きを反対しているようだが、しかし本当に日本でもテロが勃発し、永田町が、皇居が、首都の経済機能が破壊されたその癌が、身辺調査だけでは見分けにくい思想的テロリストによる犯行だとすれば。日弁連は責任を取れるというのだろうか?


そもそも私たちは個人情報をすでに多くの場面で“自ら”漏洩させている。アパートに住むため。ガスや水道、電気を使うため。携帯電話を買うために嬉々として情報を手渡している。近くのスーパーやブランド路面店で会員カードを作るため、カラオケボックスに入るのにさえ名前・住所・電話番号を入力し、SNSでは他人との会話を楽しむために自分の趣味嗜好をさらけ出している。人はインフラに頼らなければ生きていくのが難しい。インフラに頼らずとも人は国籍と戸籍を持っている。多かれ少なかれ個人情報は手放さざるを得ない。

現行法はもはや古いと識者はいう。なぜか。私たちの道徳観が大きく変わってきているからだ。Winnyによる情報漏えいを待たずとしても、私たちの個人情報はすでにバラまかれ、マーケティングに援用されている。現行法では徹底的に個人情報を守ることを至上命題としているが、これからの法体系では、個人情報はまずバラまかれることでより良く住みやすく生きられるのだ、という道徳観の上で形作られるのかもしれない。

*1:[CC論]18×Winny を参照されたい
 http://d.hatena.ne.jp/takumau/20060316

*2:asahi.com「外国人の指紋、一生保有 入管法改正案 捜査などに利用」
 http://www.asahi.com/national/update/0318/TKY200603180231.html