28×メディア再考3

私たちはこれまで、クリエイティブ・コンシューマーやユビキタス社会といった社会的背景を元に、CGM(Consumer Generated Media)を使った広告スキーム作りに躍起になってきた。だが本姓的に人間は、理性的な存在でもあれば感性的な存在でもあるし、カント的にいうなれば悟性的な存在でもあるわけだ。したがって私たちは、消費者と生活者を、感性と理性を、あるいは動物性と人間性の両面から捉えなければならない。どういうことか。

東浩紀は自身のブログにて、社会生活の総体を「人間的原理の層」と「動物的原理の層」に分けている。*1 東によれば人間を説明するにはこの二元性を統合しようとせず、別々の論理で駆動するものとして区別し、かつ共存させるべきだと提案する。その実証性は後ほど解説するにせよ、それに従えば広告の世界は「人間的原理の層」しか触れていなかったように思える。私は『コモンズとパーミッションによる両輪駆動マーケティング』において、広告を文化的広告と経済的広告によって隔て、統合しようと試みた。それが親和性を持って統合できたのは、単純に「人間的原理の層」のみを議論の対象としていたからである。

そこで私たちは、生活者と消費者の違いをもう一度考える必要がある。ブログやSNSは生活者にとって用具性が高いメディアである。そこでの広告の働き方は、Googleアドセンスアフィリエイトのように忍び込む作法をとってきた。一方で消費者はメディアを道具として扱わない。動物はモノを使うという考え方ができないから、メディアはメッセージをアフォードせざるを得なかった。

まだこのエントリは作業仮説に過ぎず、乱暴な論旨となっているため、早々に結論をつけてこの場を締めておく。つまり私の言いたいことは、メディア・アフォーダンスの必要性である。人間をもう一度再考することで、メディアの見直しが図られる。メディアは動物(消費者)を行為(購買)にアフォードするものとして捉える。これは隆盛を極めたCGMとはまったく別の次元の話である。
 

*1:東浩紀『解離的近代の二層構造論』渦状言論 2006年1月
   http://www.hirokiazuma.com/archives/000194.html