29×メディア再考4

イデアの素描を続けよう。前回私たちは、これまでの広告は「人間的原理の層」のみを対象とし「動物的原理の層」に対してのアプローチを怠っていたのではないか、と述べた。マスメディア及び新興勢力であるCGMは用具性の高いメディアとして再整理し、これからはアフォーダンスされたデザイン性の高いメディアを発掘すべき、と考え出した。広告の文脈で語りなおすと、プロダクトデザイナー深澤直人はこう発言している。*1

車内広告の一部分が楕円の鏡になっていて、右下には『鏡よ、鏡よ、鏡さん、車内でいちばん充血しているの、だあれ?』とコピーが書いてある。つまり、これは鏡の持つアフォードを上手に利用した目薬の広告なわけです。これと似たものに、電車が地下鉄に入ったとたん、ガラスが鏡に変わってしまい、女性がこれを利用して髪を梳かすという現象が起こる。これも環境が人に何かを提供しているわかりやすい例だと思います。

なかなか秀逸な例であるが、例えば私の考える広告的アフォーダンスはもっと生々しいものだ。
つまりアフォーダンスの説明には、よく椅子がモチーフとして挙げられる。目の前に椅子が置いてある時に、特に「座れ」というメッセージが書かれていないにも関わらず、私たちは自然と椅子に持たれかかる。そしてソファーが体をふんわりと包み込むような質感、輪郭を覚え、私たちは椅子に「座る」ということをますます知覚する。これがアフォーダンスの過程である。

では広告的なアフォーダンスとはなにかといえば、マクドナルドの椅子だといえる。マクドナルドは効率性アップのために、わざと椅子を堅くしている。30分も経てば座り心地の悪さにだんだんと不愉快になり、席を立つおかげで回転率がよくなる、という寸法である。他にもドライブスルーや徹底したセルフサービスの仕向けを見つめれば、私たちはマクドナルドの戦略空間にまんまとアフォードされていることに気付くだろう*2。詳しくはジョージ・リッツァ『マクドナルド化する社会』を参照されたい。

マクドナルド化する社会

マクドナルド化する社会

広告の役割はあくまで「モノを買わせる」ことだと設定した上で、広告メディアをアフォーダンスの視点で洗いなおすと、必然的にそれは経営工学的な振る舞いに近接していく。そこで広告会社が広告主に提供できる価値とは、顧客を動物的にアフォードする商品戦略や、経営システム領域におけるコンサルテーションだろう。

したがって「人間的原理の層」で活動する者はあくまでスペースブローカー的な広告代理店であり、彼らは広告主をスポンサー、すなわち資金後援者と呼ぶ。一方で「動物的原理の層」で活動する者は、コンサルタント的な広告会社であり、彼らは広告主をクライアント、すなわち患者と呼ぶようになる。
 

*1:AXIS Forum「環境が人に提供するもの─アフォーダンスとデザイン─」
   http://www.axisinc.co.jp/forum/fukasawa-src.html

*2:みらいwiki「ファーストフード」を索引
  http://www.mirai-city.org/mwiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89