38×広告理論におけるMFA

先日、広告論で著名な小林保彦教授の講義を聴講する機会に恵まれた。実務家に向けての概論的な話なので、極めてわかりやすいものであったがその言は示唆に富んでいた。アメリカの広告は理論ばかりが先行して現場は立ち遅れていて、日本の広告は進んでいる、としたのは達見である。確かにマス広告は時代遅れの感は否めないものの、暴君ハバネロを代表するようにキャンペーンの位相あるいは全体の仕掛けそのものは、評判と効果ともになんら遜色ない。
アメリカン・マーケティングは新しい理論が次々と発表されるが、あまりにも用語が氾濫し過ぎて収拾つかなくなっているにも関わらず、どれもこれも同じことの繰り返し、としたのも爽快だった。広告理論はいまだにIMCをひとつの到達として、あとはその言い換えに過ぎないところがある。そのため現在は科学的な見地を超えるのはアートの思想、つまりMBAならぬMFA(Master of Fine arts)の存在に、新しい世界の展望を見込んでいる。日本は江戸時代からその思想を持っており、科学的アプローチに毒されすぎた感がある、ということだろう。何度も持論で振りかざしているように、マーケティングの言説は理論として相当に心弱いものがある。現代思想や芸術の表層的な言い分だけすくいとった都合のいいやつに、骨太の批評言語を導入したいと常々考えてはいるところに、また新しい用語を振りかざす必然性はあるものか悩んでしまう。その整理さえイタチごっこな現実に、いかにして理論あるいは批評は可能であるのだろうか。