46×環境分析的表現

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
今年の私の目標は「新しい表現のための視点と理論を創る」ことである。広告表現理論として今考えたいと思っているのは、現在において広告制作者は何を重んじて広告表現を捉えるようになったか、ということだ。
いま私は、それを大別して商品機能的表現環境分析的表現の2つに分けることを提案している。わかりにくければこれらを、一次情報表現と二次情報表現、あるいは「Slice of Life」から「Slice of Image」への変動と言い換えてもよい。
商品機能的表現はこれまでの広告のように、商品の良さを伝えてストレートに買ってもらうための伝達手段だ。対して環境分析的表現は、消費者があらかじめ受容しているメッセージの解釈に立脚した上で成立される。そのため制作者は、その想像力に準拠したうえでのメタメッセージを伝えようとしている。その次元では、商品の本質を捉えようというより、本質を解釈する人々の想像を重んじようとしている。
このアイデアは、広告の存在意義を転倒させている。広告は「モノを売るための活動」であるがゆえに、商品機能的表現から逃れることはできなかった。どれだけ社会的なメッセージを放とうとしても、それは1次メッセージでしかない。あくまで商品というテーマに基いたうえで発想が行われる。一方で環境分析的表現は、二次あるいは三次メッセージを基本とする。
例えばソフトバンクのCMは「なぜお父さんが犬なのか」「なぜお兄さんが黒人なのか」という違和感を無視しながらストーリーが続いていく。視聴者は内省的に「なんで」「ていうか」を抱えたまま受容している。その層においてメッセージは造形されている。その時、CMは構造として広告の存在意義を脱構築することになる。だが現代においてはその歪みがあってこそ、機能してしまうのだ。