9×メール

なんで人はメール返さないんだろうな。
ひょっとしてぼくが悪いんじゃないか、と深い自己嫌悪に陥る。
メールが帰ってこないと、転職したくなる。
なぜなら優秀な人は、必ずメールを返すからだ。
ぼくがメールの返信をしない場合、そこには悪意があるからだ。


ある超大手外資系メーカーでブランドマネージャーをしている
ぼくの友人は、メール設定を自動返信にしている。
英語なのだがその内容は
「いま席を外しているので、お返事を今しばらくお待ちください」
というものだ。
彼は多忙を極めまくっており、ほとんどアポが取れないが、
断るにせよ2分以内に返信がくる。
内容は、はい・いいえ・ごめんね。くらいのものだ。
それでも飲み会にはできる限り付き合ってくれる。
そこには優秀かどうかは微妙だが、大志を持っていて熱く信念を語れる
仲間が集うからだ。
彼は優秀でなく、信念を持たない人間の集いには
決して参加しようとしない。ただ、用事があるのでごめんね、と答えるのみだ。
ここで疑問なのは、いいえ、と答えない人間のことだ。
バーカ、とか、つまんね・視ね  等々 言えばよいではないか。
そうすれば自分の不甲斐を猛省しよう。


ぼくは最近、しゃべって頼んだり言い訳をするのはやめてくれと要請してる。
人は困った時、逃げたい時、当事者に会ってなんとか誤魔化そうとする。
ぼくはなあなあにしたくないので、仮に会ったとしても
その内容を文面にしてくれという。それで受諾を考えるという。
それでもなお送ってこない輩がいる。まずこれでカスな野郎が落ちる。
次に内容がスカスカな奴がいる。まったく考えてない奴は落とす。
文章がヘタでスカだが、なんか情熱を感じる人は受諾する。
情熱があって頭のいい人は、文面を読むだけで伝わってくる。
そんな人と仕事をしたいと思う。
しかし現実には、あまりにも少数だ。環境的な問題だと思ってる。


くだらないことだが、ここまで状況が続くと自発的にプロジェクトを
起こす希望がなくなり、絶望を感じる。
だから研究者になったほうが、よっぽど楽なのだ。
それとも大手の会社に行ったら、メールは帰ってくるのだろうか。

ある大学の先生に話を聞きに行った。
研究者になる人は、気が狂うほど優秀じゃないとなれないよと言われた。
研究者になりたい奴には、相当厳しい指導をしますと。
研究者にならないなら、まぁ優しく接しますよと。


ぼくは自分の理想と行動に大いなるギャップを生んでいる。
メールを即座に返すだの、判断が早いだの、ゴリ押しするだの、
まるで研究者とはかけ離れた素質ばかり高めているからだ。


と思いつつも、そんなジャンル的な次元とは関わりなく
優秀な人は何をやらせても優秀なんだと信じている。


だからぼくは、ただ純粋に、
優秀な人に会いたいと強く思っている。