物語論から表現論へ 2

アニメ『けいおん!』のオープニングをずっとずっと、永遠にループしていて、何千回見たのかわからなくなってきた。この90秒には表現で表現すべきことはなにか、そのすべてが詰まっているような気がする。もはや批評ができない状態になっているわけだ。批評ができないものこそが本当に表現と呼ぶべきもので、批評ができるものはすべからく物語と呼ばれるのだろうな。とにかく私は、ただこの作品の前に、呆然と佇むのみだ。


ところで『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』についての感想をブログ検索していると、おおむね私が『けいおん!』に感じた、形容しがたいある何かと、同じような感慨が散らばっていた。1枚1枚の作画へのディティールへの傾倒を評すべき言語は、たぶん賞賛しかないのだろう。私はこの賞賛のため息を、批評の言語に換えてみたい。おそらくそれは、絵を描くことの深淵と、文章を書くことの脅威を乗り越えなければ、表現の批評はなし得ないのだろう。ひさびさに絵が描きたくなってきた。