第三の道と第三の広告

Twitterをはじめてから半年も経たないのに、世界がダイナミックに動いていって毎日ついていくのが大変なほどだ。そんなTwitterの潮流が続々と押し寄せるなか、『思想地図』の論考で注目をしていた研究者・西田亮介が「.review(ドットレビュー)」という批評プロジェクトを始動させることを知った。自分たちでコンテンツをつくる。各々の思いを募ればメディアは誰にでもつくれる。500字でアブストラクト募集するという。一週間ほど悩んだあげく、ぼくは参加を表明した。

その後押しになったのは『思想地図』のアブストラクト募集に参加しなかった後悔だろう。もう記憶が定かではないが、当時ぼくは今もなお変わらず広告のマーケターをしていたわけだが、正直いって仕事の浅薄さにうんざりしていた。マーケティングへの嫌悪が充満していた。ぼくがやりたいのはもっと純粋で、青臭いものだったのだ。だから研究者を志していたし、心のどこかで批評家になりたいと思っていた。その気持ちが半端なまま『思想地図』は刊行され、黒瀬陽平のテクストを読んで、ああ、もう批評家はやめようと思った。こういうテクストをぼくは書きたかったのだ。そしてそのイメージを超えるものを年下の彼がすでに実践してしまった。それからぼくのキャリアプラン再考への旅がはじまったのである。

2010年にTwitterに出会い、多くの文化人や研究者、批評家たちがビックウェーブに入ってきた。新しい言論の波を肌でびりびりと感じた。最初はメシがうまいだの、眠いだのつぶやいていただけだったが、大波に刺激をばしばし感じて、いつかの情熱とストイックさが体中にみなぎった。そして.reviewが生まれた。この波に乗らないと、ぼくはいつまでもグズグズするだけだ。手元にはなにもない。気持ちがあるだけだった。


かくして2010年4月。『第三の広告― エゴフーガリストの生み出す力と育てる力 ―』という論考を公開した。第三の広告とは、簡単にいえば企業視点でも生活者視点でもなく、かといって公益に還元するだけでもない、両者のあいだを止揚した広告のことだ。その題材としてキャドバリーのデイリーミルクのテレビCMをあげて考えている。これからの広告が目指すべき指針をぼくなりに示したつもりだ。

あまりロジックを積み重ねようという気はなかった。ぼくが何年も感じてきた広告への嫌悪。そして美術への憧憬が入り交じった文章になっているだろうと思う。だから広告へ携わる人へのメッセージになってしまっており、.reviewのような広く読まれるためのプロジェクトには不向きなのかもしれない。しかしまず鬱屈した思いを吐き出さねば気がすまなかった。ぼくの素直な気持ちが描けたと思う。

第三の広告を考える過程で、様々な出会いがあった。Twitterで出会った人々のタイムライン。黒瀬陽平がキュレーションした美術展・カオス*ラウンジとその周辺。マルセル・デュシャンが打ち出した芸術係数などに脳刺激を受けて、まったく別の形で新しい問題系へと飛び立てる予見がすでにある。ぼくの仕事は批評文を書くことではないことに気付きながらも、書かずにはいられないこの思いをどうやって解消すればよいかその道標はいまだ見えない。しかし天啓は霊媒せねばならない。いまだ見ぬ未来の自分にむけて、ぼくはあらゆるなにかを霊媒のようにアウトプットし続けるだけだ。