×アーティスト?

うろ覚えだが、ぼくが学生だったころに最も影響された発言に「写真と映像をやりたいなら、30歳を越えてからにしろ。」というものがある。その意識は、批評家の浅田彰が若手作家の文学やエセ芸術を一瞥して「まるで20世紀後半の文学は、なかったことになっている」と苛立つ態度とほぼ同じだと考えてよい。ちなみに前出の発言をしたのはぼくが通ってた大学の先生で、そういえば彼は自らを浅田世代だといっていた。

大学を卒業してまもなく「アーティスト」になった同級生から、初めての個展するというメールが届いてから、ぼくはそんなことを思い出していた。何百枚と書き連ねたデッサンの蓄積があるわけでもなく、かといって歴史的な言説や功績を順を追って噛みしめてきたとも思えない私たちは、果たしてどこまで現実を直視する権利が認められるのだろうか。


その地平に立つと、私たちは過去に対してアイロニカルな視線を持つ行為そのものを禁じざるをえない。だが表現者はえてしてメタ批評に向かいがちである。この欲望を満たすためには、その羞恥を蔓延させ続けるしかない。要するに乖離を恥じることなく、ずぶとくなればいいわけだ。むしろほとんどの表現者はすでにその態度を選んでいるように思う。

だがぼく個人としては、その乖離に堪え難いものを感じる。では何をすべきかは、自ずと答えが見えているのだが一歩踏み出せないでいることに、むしろ恥じている。そう白状しておこう。