神話崩壊

メタフィジカルな生成力の環境

『思想地図 vol.3』におさめられた「アーキテクチャと思考の場所」というシンポジウムの再録を読んだ。このなかで建築家の磯崎新は、メタフィジカル(形而上学的)なものを いかにしてフィジカル(物理学的)に落とすかが問題だ、という主旨の発言をしている…

2つの約束

「約束」は、現在において極めて重要なキータームになりうる。そのために私は糸井重里という人物を通して、これからの広告表現の本質を、約束という視点から再定義しようと試みていた。しかしながら約束とは、あらゆる表象、そして表現行為においても。ひい…

“読む”から“詠む”へ

どうも私は失語症なのではないだろうか。本はたくさん読むが、記憶に残らない。文字と文字の連なりがない。三島由紀夫をあれほど貪り食ったのに何一つその物語を覚えていない。キーワードを断片にして脳にストックし、たまに閃光のようにその霊験が降りてく…

伝達の不確実性によって生じる人間の想像力

部屋を掃除していたら、高校生の時に書いた小論の文集が出てきた。もう10年前になる。たくさんあって恥ずかしい文章ばかりだが、下記に転用するものは、おお、我ながらかなり鋭い視点じゃないかと思ったので採録してみる。誤配とか郵便性とかMAD的空間とか、…

リセットしない人生

石川遼がタイガー・ウッズに初対面した2009年2月24日に、授けられた言葉。 「人々が君のことを書いたり、話したりしたからといって、高いドローや低いフェードを打てるわけではない」私は芸能の時事ネタはブログで書かない主義なのだが、ものすごい刺さった…

間主観性と合意形成

先日、私は今の現代美術には、コンテクストが共有されていないと述べた。 これをやや哲学的に言い換えるならば、間主観性を欠いているのを知らずに 作家と鑑賞者はそれぞれ勝手なコミュニケーションを行っていると言える。その状況はある面で、現代社会の様…

10×儀礼的消費社会2

かねてのブログから、mixiへと流れ込む人民が次々と止まらないらしい。これはなぜか。mixiでは友人知人がコメントを残してくれるからである。 この状況は社会学者たちによって「ネタ的コミュニケーション」とか「繋がりの社会性」と呼ばれており、私もアーヴ…

9×儀礼的消費社会

繋がりの社会性、アイロニカルな没入、ネタ的コミュニケーションの台頭。60年代の高度成長社会は「機能」を必要とし、80年代の消費社会は「記号」を食い散らかしていたが、「機能」も「記号」も一種のコンテンツとして消費されていた。だが00年代の私たちは…

9×リスク社会

不二家は賞味期限の捏造をしていた。今もなお隠蔽を追求されているが、そのどれもが他国の貧民層から見れば資本主義国家の贅沢に見て取れないこととも言える。これまでも雪印集団食中毒事件、森永ヒ素ミルク事件とあったが、その犠牲者や被害規模は右肩下が…

8×メタ

『Web2.0(笑)の広告学』という連載のなかで興味深い指摘が。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20060803/107493/ テレビってつまらないという人に、じゃあ最近面白いものってなに?と問いかけると、YouTubeで見た某テレビ番組の一抹だった、と…

7×ギートステイト

なにこれ、やばい。おもしろすぎます。■ギートステイト制作日誌 ■批評家とエンジニアが予測する2045年の世界--プロジェクト「ギートステイト」 「ギート」「検索性同一性障害」等の造語が秀逸です。また、複雑系、情報倫理、監視社会、リバタリアニズム、コ…

16+6

情報公開することで、大変ショッキングな事件が起こり続けている。私は心情的に情報公開はやればやるほどよいと思ってるが、法的、制度的、道徳的に規制せざるを得ないのは、こういう事件がどうしても起こってしまうからだ。自由と規制は裏表のコインの関係…

5×mixi

■2006年 mixiとMySpaceはページビューでgoogleを抜く http://blog.picsy.org/archives/000330らしいです。 2005年はGoogleの大躍進だ、監視社会だ、とGoogleやAmazonばっかりに恐怖感をみな感じていましたが、当たり前ながら、本当に恐ろしいのはmixiの方で…

4×感情のジム化

「神話崩壊」とはイデオロギーの凋落だけを意味するのでなく、その凋落を歴史認識として知っているはずだというコモンセンスの崩壊も同時に意味する。むしろ今日的な神話崩壊とは、そのような崩壊を前提としなくなった事態の方が前景化しているだろう。ホロ…

3×たばこ

非喫煙者であるぼくは煙草への関心も、政治的背景の知識にも徹底して欠けている。だからこそ冷静に考えられるのかもしれないが、このような嫌煙権の極地を見せつけられれば、やはり直ちにドゥルーズ的な管理社会の片鱗を連想せずにいられない。JT(日本た…

2×あえて

青山ブックセンターで行われた北田暁大×東浩紀のトークショーを聴講した。 『嗤う日本の「ナショナリズム」』刊行記念と題されたトークショーであったが、あまりその内容のディティールに触れることはなかった。細部に踏み込む前に、共に71年生まれであるに…

×アーティスト?

うろ覚えだが、ぼくが学生だったころに最も影響された発言に「写真と映像をやりたいなら、30歳を越えてからにしろ。」というものがある。その意識は、批評家の浅田彰が若手作家の文学やエセ芸術を一瞥して「まるで20世紀後半の文学は、なかったことになっ…