2つの約束

「約束」は、現在において極めて重要なキータームになりうる。そのために私は糸井重里という人物を通して、これからの広告表現の本質を、約束という視点から再定義しようと試みていた。しかしながら約束とは、あらゆる表象、そして表現行為においても。ひいては現在の私たちの実存を考える上でも重要なことではないかと思った。宇野常寛のいう「決断主義」と同じような話で、表現に話を絞ったバージョンなのかもしれない。決断主義を広義に捉えると、約束の内容そのものより、約束をするという行為を重んじるということだ。
宇野がこれぞポスト決断主義だと名指す『DEATH NOTE』『LIAR GAME』『コードギアス 反逆のルルーシュ』を観た。いずれも面白かった。面白さの理由はさておき、物語論として読み解くと、なるほどこれらの主人公はみんな、約束をしているじゃないかと思った。約束をして、それを実現するから物語に強度が生まれ、虚構であるにも関わらず、読み手にある種の実存性(リアリズム)を与えているんだなと。
しかしながら一方で、宇野が批判するセカイ系の作品(例えば新海誠庵野秀明)や、オタク系コンテンツの典型モチーフとして、約束は使い古されている。「約束しよう……また必ず出会えることを」なんてセリフを吐いて、ヒーローはどこかの未来へ消えていき、思い出は神となる……みたいな。その想像力の中では、願っても約束は果たされないことで、むしろ実効されることになる。オタクの約束とは形骸化されてこそ約束となるわけだ。
つまり約束とは、実行と結果を残すために発する決断主義の立場と、オタクの夢を虚構で支えることを重要視するセカイ系の立場に分かれているのだ。約束には両義性がある。決断主義的約束と、セカイ系的約束として2つに分けておくことにしよう。

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LIAR GAME (1) (ヤングジャンプ・コミックス)

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コードギアス 反逆のルルーシュ 1 [DVD]

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