影響を受けた表現

これまで私が人生で最も感動した「表現」とはなにか、振り返ってみたくなった。5つあげるなら、迷いなくこの5つだろう。


1.スタンリー・キューブリック『時計仕掛けのオレンジ』
私の源流には、キューブリックが息づいている。雑誌「SMART」を読んでたら街頭インタビューである男の子が、好きな映画にこの作品をあげていて、そのタイトルの奇妙さに惹かれたのがきっかけだった。それまで私はハリウッド系しか観たことがなかったので、その高校生の当時の感想といえば、はっきり言って意味がわからなかった。でもその美しさには圧倒されていて、どういう意味なのか理解したいと思い、5回くらい繰り返し観ていた。で、ひょっとしてこの映画が言いたいのは、こういうことなんじゃないかと読解しかけてた頃に、確証を得るために原作の小説も読んで、自分の読解が正しかったことを知った。キューブリックは作家が伝えたいメッセージを、純粋映像表現という濾過装置に通していたことを知った。その経験を通して、美しさへの探求と、美しいものを読み解くという批評への興味が芽生えた。まさに記念碑的な作品である。キューブリックの作品はすべて観たが、まるごと全部大好きだ。そんな映画監督はキューブリックしかいない。彼のせいで私は大学時代に、暗黒の思い出・映画研究会に入ってしまうことになる…。


2.三島由紀夫『復讐』
高校二年の時に、国語の教科書に掲載していた短編である。これも一読するとわかりにくいんですね。まるで続きがあるかのように結末が尻切れとんぼのまま終わってしまい、浅く読んだだけでは「はぁ?」となるのだ。でもちょっと本を嗜む子だったら意図したことは瞬時に理解できると思う。授業ではこの小説の含蓄はどこにあるか考えようと先生が号令をかけて、みんなで一斉に考えていた。『時計仕掛けのオレンジ』で体験したことの短いバージョンですね。難しい謎を自分の力だけで解くと、人は感動するんだなと実感したものだ。余談ながらこの教科書にはヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』が掲載されてて、三島と合わせて多大な影響を受けた時期だったように思う。

決定版 三島由紀夫全集〈19〉短編小説(5)

決定版 三島由紀夫全集〈19〉短編小説(5)


3.宮島辰男『MEGA DEATH』
大学一年の時に、初台のオペラシティで開催していた個展でこの作品を見た。壁面に無数のLEDが数字を刻み、ある時間になると、すべてのLEDが一瞬で消えてしまい、光に目が慣れていた観客には完全な暗闇に包まれてしまう。しかし数分後に徐々にLEDが光りだし、また同じように数字を刻み続けるという「永遠のループ」を描いた作品だ。私はこの作品の前にしたまま、泣き、3時間、ずっと座って見ていた。なぜこの作品に感動したのか理由がよくわからなかったが、思いつきでふと「永遠のループ」と記してみると、なるほどそうかと気づいた感じがする。


4.石岡瑛子「1960〜70年代におけるPARCOのアドワーク」
広告は芸術なんだと気づかせてくれた仕事。ワンキャッチ・ワンビジュアルのお手本のような。斬新なポスターを数々と打ち出していったパルコの60〜70年代は、石岡瑛子の功績が最も大きいだろう。女性上位時代のシンボリックな記号性をこれでもかと伝播していった。「パルコ感覚は遺伝するか、しないか」なんてコピー、ほんとありえないと思った。普通、広告制作においてはコンセプトやコピーが先立ってからビジュアルが作られるものだが、石岡の非言語によるアートワークこそが時代を象徴するコピー(言語)を後付けで生み出していったんだと思う。日本版のベネトンですね。私の母が画集を持っていたので盗み見したのだが、当時は寝る前に毎日読んでいた。母に感謝である。石岡さんがいなければ、私は今でもアートの亡霊に彷徨っていただろうな。

パルコのアド・ワーク―1969~1979 (1979年)

パルコのアド・ワーク―1969~1979 (1979年)


5.東浩紀動物化するポストモダン ー オタクから見た日本社会』
現在の自分の考え方に、最も直接関わっている著書である。動物化。データベース消費。大きな物語の崩壊と小さな物語の乱立。強力なキーワードを次々に打ち立てて、いちいちそれが時代の気分にぐいぐいと吸着するものだった。元々は村上隆の書評を書いてるのを読んだのが初めてだったが、びっくりしてしまい、それからずっと読むのを逃げていたな。いざ勇気を出して読んでみたら、やっぱりおおいにハマった。大学の卒業論文はほとんど東浩紀研究だったしね。今の私は批評家とか研究者になりたいと願ってるのは、東の仕事に触れ続けていたせいだろう。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)


こう眺めてみると、映画、小説、デジタルアート、広告、評論 というように、形式がバラバラである。インターメディアってのはこういうことなのか。自分でいうのもなんだが、意外とこういう感性にならないものである。大事にしなきゃ。