ソーシャルタギング4

第2回目のエントリで、タギングはカテゴリの概念と何がどう異なるのかという課題を残した。そのための手引きにしたいのは濱野智史による「ニコニコ動画の生成力」という論考である。濱野はクリエイティブのあり方を、創造力と生成力に分けている。そしてニコニコ動画では、物語が永遠に生成=N次創作されていくのに重要な概念として、タグの存在を取り上げている。
カテゴリとタギングの違いを考えるには、YouTubeニコニコ動画の違いを思い浮かべてみるとよい。私たちはYouTubeで動画を視聴を続ける時は、まずキーワードで動画を検索し、その後に関連動画を次々とクリックしていく。そしてYouTubeでは関連動画からインスパイアされて、次の新たな動画が二次創作されていくというツリー型の体系となっている。一方でニコニコ動画での視聴では、動画に埋め込まれたタグを追跡し、タグのテキストそのものを消費しながら、関連動画が次々と生成されていくというリゾーム型が描かれている。
例えば『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメが一次創作物としてニコニコ動画の空間に素材として配置された場合、職人と呼ばれるMADムービーをつくるクリエイターたちは素材を元ネタにして次々と二次創作のMADを生み出していく。ここまではYouTubeで行われていることと同じだが、ニコニコ動画ではそれらMADムービーに、視聴するユーザーが次々と自由にタグを埋め込むことができ、しかも誰でもそのタグを削除して、書き加えられることができる。すると「タグ合戦」と呼ばれるテキストの塗り替えが24時間、常に書き換えられる現象が起こる。そこで書かれるテキストはもちろん「涼宮ハルヒ」という主人公の名前や「谷川流」という作者の名前も登録されるものの、例えば「長門俺の嫁」といったいささか変則的なタグも登録されていく。すると「いや、長門は俺の愛人」などとメタ視点に立ったタグ、つまり最初のタグを書き換える目的で書かれるタグが次々と登場しては、消えていく。私たちはその生々流転を見続けることで、動画とは別の次元の情報を消費することができる。また「いや、長門は俺の愛人」という偶然生まれたコミュニケーションから、新たなMADムービーが生産されることも珍しくない。タグは消費と生産の基点となる。

カテゴリ タグ
YouTube ニコニコ動画
創造力
 
生成力
 
ツリー型 リゾーム
一次ホップ N次ホップ
主体・作者 環境・制度
オリジナリティ
(独創性)
ハブ
(媒介中心性)

※ 濱野の作図から筆者による追記

つまりキーワードやカテゴリとは、創作物を体系的を分類していく概念であるだけだが、ニコニコ動画においてタグは誰でも自由に、長さは関係なく記述できるテキストであることから、タグの情報そのものが消費対象になり、しかも新たな創作物を生み出していく運動体であることがわかる。福嶋亮大は創作物に限らず、創作物になりうる素材=神話素を消費可能な物語に変えていく運動体を「演算子」と呼んだ。濱野はこの演算子にあたる現代的な形がタグにあると考えている。
濱野の解釈では、タグは単なる分類法ではなく消費物でありながら、かつ創作を動因する助成物であることを分析していた。この2点それぞれで、タグは広告コピーに新たなヒントを与えてくれている。次回はその展望について分析を行いたい。