文字の認識

ケンブリッジ大学のある研究員が行っている認知心理学っぽい研究が、2ちゃんねるで話題になっているそうです。人間は文字を読むとき、ある程度の文字列が入れ替わっても、普通に元通りの文章のまま読めてしまうという実験があるらしい。例えばこんな文章。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく

ネットスターでも特集されていました。タイムラインで4:40くらいから始まります。


うーむ・・・これはなかなかおもしろい話ですね。人間の認知がいかによくできているかを示した実験ではありますが、一方で私は、しかし世の中の情報はこれほどまでに整理されていないんじゃないかと思いました。試しに「ケブンッリジ ジネェーレタ」でテキストを打ち込んで変換してみると、平易な文章なら読めるのですが、ちょっと特殊な文章を打ち込むと途端にわからなくなる。
人間の知覚はよくできてはいるのだが、どこかにある欠落を埋めることをしなければならないこともある。欠落をうめる仕事がなければ、世の中にアートもデザインもサービス産業もなくなるはずだから。いまの風潮はサービス産業を自動化しようって流れなので、どうせなくなるのだろうけど。しかし一方で、情報の洪水にのまれて欠落が浮かび上がっているともいえる。おそらく今は、欠落か完備か、その端境期なのでどちらの側面も立ち現れているのでしょう。


そういえばたしか、美術評論家の椹木野衣がキュレーションをしていて、同じく文字の認識をテーマにした展覧会があったはずです。かなり意欲的に文字を欠損させていたような気がします。ぜんぜん読めなかったような気がする。他にも恵比寿の写真美術館で「文学の触覚」と題して、小説家とメディアアーティストが協同でインスタレーションをつくる試みがありましたね。文字の表象化は 私のテーマのひとつなので、これも非常に刺激をうけました。