フロー型のアーキテクトを批判する

Twitterを試してみました。こちらから私のIDにアクセスできます。私の心のなかのつぶやきがそのままあらわになっているので、あまり見ないでいただきたいものです。ここで書いていることはすべてネタということで・・・(1割くらい本気が混じってますがwww)。
ご存知の通り(とはいえこのブログでは書いたことないかも)、私はmixiTwitterに代表されるフロー型のアーキテクトに反対している立場です。その理由は単純に、フロー型の情報ばかりを扱っていると、人間としてダメになると思っているからです。自然と言葉がどんどん軽くなります。そのアーキテクトから新しい様式や文学が生まれるのかもしれませんが(ケータイ小説はその極北でしょう)、梅田望夫よろしくの総表現社会には大きな弊害も生まれます。1億人がまるごと表現物を生み出せるのだとしたら、おそらくコンテンツという概念は消失するでしょう。ふだん言ってることと真逆なように聞こえるかもしれませんが、私の感覚はけっこう保守的なのです。

いずれにせよフロー型のアーキテクトをつくってきた人間たちは、きわめてストック型の教養で育ってきているはずです。Adobeのピクチャー系アプリケーションを構築している人は、SNSミニブログを読んだおかげで、アーキテクトを生み出せているわけではありません。もちろんその文化のひとつには、オープンソースOpenIDといった文化も含まれており、文化の発展に大きな貢献をしてきているのは事実です。しかし基本的な素養は、大学でまじめに研究したり、毎日の研究活動を怠けないという研鑽があってのことでしょう。その自覚を持ったうえで、アーキテクトを使うべきだと思うのです。
ブログで書くと、わりと冷静な書き方になりますね。私にとってのフローコミュニケーションは、ブログで十分です。ブログのアーキテクトは検索エンジンの収集に最適化されているので、知識が自然とストックされていくため、フローとストックのあいのこのように機能するから、私はブログを評価します。とはいえブログ論壇と呼ばれるように、そのアーキテクトに埋没すると、ゴミのようなテキストしか生産できなくなってしまう。なにかを生産するときは、いま自分がどのような環境のもとに情報をつくろうとしているのか、つねに自覚的でなければダメだと思います。フロー型のアーキテクトで戯れる人々にはその自覚が欠如しているように感じるので、注意を促しておきたいと思います。