41×メタ広告

最近、広告風景のなかにメタ広告が増えている。メタ広告とは、広告行為そのものを広告の対象にしてメッセージとすることで、例えばテレビCM中に「広告にお金をかけないで商品に力をかけたから、ぼくたちは静止画になってるんだよ」という表現(花まるきのCM)や、制作サイドの業界事情をネタにしてフィクション化する表現(浜崎あゆみのハイチュウや蛯原友里大和証券のCM)が例に挙げられる。なぜこのような現象が多発してしまうのだろうか。

批評家の東浩紀は、筒井康隆との対談「キャラクター小説とポストモダン*1の中で、メタフィクションには2つの戦略があるのではないかと問うている。1つは作家が新しい文学理論を打ち立てるための人工生産的なメタフィクションと、外部である読者から強いられ、その想像力の環境が、作品物語の内部に練りこまれてしまうことで発生する自然発生的なメタフィクションである。この類型に当てはめて考えてみると、ほとんどすべてのメタ広告は後者であるように思われる。それは広告制作の現場では前衛的な手法よりも、マスコミュニケーションの読解に頼らざるを得ないからである。読み手である視聴者に理解されてこそ機能を発揮する広告において、物語もまた読解の環境いかんに左右される。この状況論は新しい広告の変化を示唆してはいないだろうか。

また東は、小説の物語についても作家がどのような意図を狙い、どのような現実を抉り出すための構想なのかという自然主義的描写よりも、作家にそのような記述を描かせてしまった環境分析的読解に、我々の読みの焦点が移動してきているという。

<執筆中・・・>

*1:「キャラクター小説とポストモダン」『群像』講談社、2007年7月号